宇都宮泰 (うつのみや やすし)
音楽家として音楽プロデューサーとして1970年代より活動。
アフターディナーや少年ナイフ、JON & UTSUNOMIA「( )」、トクサノカンダカラ(art bears 「the art box」)など、
各プロジェクト毎に独自の音楽理論を展開、音楽表現に直結した音響システムを開発・導入する。
その独創的な芸術性とクオリティの高いテクノロジーの融合は国内外で高い評価を獲得し、音響の鬼才と称され周知にいたる。少年ナイフ 初期4作品を紙ジャケット仕様でSHM-CD化マスタリングに関しては初期タイトルのレコーディング及び制作にも関わった、音楽家/音楽制作者の宇都宮泰氏が担当。。
2016年4月29日追記分
全文:
上記のようにギミチョコ、ライブではPVのような感触にならない「ギミチョコ問題」があったが、2016年から(ひょっとすると2015年内?)この問題に対する対処が行われた模様。 顕著にはNHK-TV番組、米国でのTV番組中では問題解決版に。
具体的に何が問題で、何がその曲にとって正しいのかは、その曲の「オリジナル」がどこにあるのかを紐解くことで、ある程度理解できる。ギミチョコは2013年12月幕張メッセ「LEGEND SU-METAL聖誕祭」で始めて人目に触れることになり、そのときの動画からPVが作成されている。が、PV音声は全くのスタジオ録音が使用されている。
では、そのときの会場で流れていた演奏やアレンジはどのようなものだったのだろう。一時期会場でのコッソリ録音がネット上にあったのだが、すぐに制作側にブロックされた模様。このときの音声がもっとも「オリジナル」に近いのではないか、と私は考えている。
BABYMETALの制作、世間ではメタル命なロック人のように考えられている(そのようにアナウンス)が、私にはそのように思えない。そのひとつはマスターピース(クラシックで言えばオリジナルスコア)に対する異常なまでの厳格さ・・・これは作品を「完成させる」ために必須という思想だが、ポップスやロックにあるインプロビゼーションやアドリブの自由は無いようだ。
もちろん一定の範囲内では許されるようだが、厳格であることには変わりない。クラシックや現代音楽などのそれを髣髴とさせる。
この幕張メッセのギミチョコ会場音を聴いた(PVを見た後の話)とき、私には大きな衝撃があったのだが、今日まで確信が持てず、論説でも触れていないことがいくつかある。 ●SU-METALはギミチョコの3番しか生では歌わない。 ●Death voiceはこの曲には存在しない。
まさかSU-METAL、1番と2番の歌詞が覚えられないとか、そんな馬鹿な話ではあるまい。おそらく1番、2番は音程修正で正規化され、表情が平坦になったものでなければならないのだ。ライブでリアルタイム音程修正する装置もあるが、自然なかかり具合には程遠い・・。
この幕張メッセの会場音を聴いたときに、ぼんやりとは感じていたのだが、2016年になりNHK、米国でのTV番組での演奏を聴く限り、この2点はオリジナルにとって必要な要素と確信した。 どちらの演奏でも1番と2番は音程正規化された録音物で、3番のみ生の歌が入ってくる、Death VoiceはPVと同じ場所に存在しているのだが、声と認識できないほどにディストーション加工されている。もはやただのノイズだ!
スタジオでの制作工程ならいざ知らず、ライブにまで録音歌と生歌併用を要求する、そのような分野は私が知る限りメタルにもジャズにも存在しない。一部のプログレや現代音楽にはあったりするが・・。
私の主張するように、彼らがエモーションを制御するプロセスとして、そのような(1,2番は音程修正付きの録音物、3番のみ生歌のような)曲仕様を考え出したのだとしたら辻褄は合う。それ以外の合理的な説明があるなら伺いたい。
2014年、15年のライブツアーではもちろんすべて生歌。それがどのような印象を与えることになったかは論じないが、ここに来て本来あるべき姿に戻りつつあるのだとしたら、私は大変うれしい!
本来のギミチョコでは、3番で救われるわけだ・・・
続きはこちらへ→宇都宮泰氏による「BABYMETALとエモーション」 – Togetterまとめ
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