21: 2015/02/21(土) 11:55:47.29
BABYMETALはキャンディーズの隔世遺伝だという思いを強くする
青春時代にキャンディースにはまっていたおっさんたちの
眠っていた情熱を呼び覚ます何かを彼女たちは持っているのだろう
禿しく不同意
それ三人組でスーがいるってだけじゃん
作曲を担当した穂口雄右はレコーディングの際、「キャンディーズに敬意を表し、アイドルではなくミュージシャンとして処遇したい」と提案し、スタッフもこれに同意した。
この穂口案は、「コーラスのパート譜を当日の、しかもレコーディングの時点で譜面台に用意する」、即ち初見でレコーディングを行うというものである。
これほど厳しい条件にもかかわらず、譜面を手にした3人はミュージシャンとして難なくこれを歌いこなし、レコーディングは僅か3回のテイクで完了した。
この一部始終を見ていた穂口は後年、以下のように懐古する。「あの(「微笑がえし」)コーラスは絶品であった。
デビュー当時、音程を掴むのに苦労していた3人がここまで成長した。そこにいた3人はアイドルではなく、まさにプロのミュージシャンだった。
あまりの嬉しさに私(穂口)は、涙を拭くことも忘れて3人のコーラスに聴き入った。ふと周囲を見ると、周りのスタッフも全員が泣いていた。」
>3人は公私ともに仲が良い
>仕事で常に一緒の行動が多いグループなどでは、宿泊先のホテルの部屋を別にしてもらい、個人の時間を確保する向きが多い中、
>キャンディーズの3人は一緒に過ごす環境を望んでいたという。
>ツアー中のホテルではツインルームにエクストラ・ベッドを入れてもらい、同じ部屋で寝ていたという。
>休日も一緒に過ごすことが多く、まれに連休が取れると、3人で旅行に出掛けた(3人に加え、友人も同行することがあった)。
>インタビューなどで「ケンカをしないのか?」「ずっと一緒でイラついたり、ストレスを感じることはないのか?」という質問に、
>伊藤は「2人の気持ちが分かりすぎるから」と答え、藤村は「感情的に姉妹以上になっている」と語っている。
40代の俺より相当年上で、邦楽しか聴かなくって、他に女性3人組を知らないからそうなるんだろうね。
俺の場合は少年ナイフだったんだよね。
ここじゃ誰も知らないかもだけど、
かつてニルヴァーナと一緒にツアーしたりしてた大阪の女3人組のパンクバンド。
ほとんどが日本語歌詞だけど、全米の幼稚園のお遊戯曲に採用されたりもしてた。
ようつべのコメか何かで、少年ナイフのファンサイトを昔立ち上げたっていうアメリカ人のおっさんが
ベビメタをみて数十年ぶりに熱中してるみたいな書き込みがあったよ。
聞き手それぞれが過去に聴いてきた音楽の歴史に照らして、ベビメタがどんな位置づけになるか
人それぞれなんだろうけど、いずれにせよ、そのインパクトのでかさに感動して泣けてくるんだろう。
40代より上ってのは分かるけど
なんで邦楽限定なのよw
洋楽聴いててもキャンディーズ思い出す人もいるよw
40代だが、45以上の奴等は洋楽が流行ってた世代だから
俺たちより洋楽聴いてるはず。銀座ナウとかいう洋楽番組が流行ってたらしい。
俺たち世代はトップ店、ベストテン、夜のヒットスタジオ。
正則の番組やってたころは10代後半
バンドを従えてお揃いの衣装で歌い踊る3人娘、というスタイルなら
アンドリューシスターズでしょやっぱり
日本語詞でアメリカ人(特に子供や大御所)に大ウケしたってとこがミソなんだ。
イギリスの Dom Lawson や Slayer の Gary Holt がベビメタを称賛したとき
どっちも「うちの子もハマってんだ」と言及してるだろ。
俺はもともとメタル好きではないけど想像はできる。
嫁や娘に長年虐げられてきたメタル趣味を初めて娘に認められた禿親父の気持ちを。
これは一般人で英語だけど、娘と行ったベビメタライブが人生最高のショウだったって。
これだけでおっさんなら泣けるじゃないか?
せんだが司会やって、アイドルがちょこちょこ出てた。
TVの洋楽番組はあまりなかったように記憶している。
FM東京のコーセー歌謡ベストテンからダイヤトーンPOPSベストテンが主流だったかも。
あとはTVKのミュージックトマトかな。
おれの最初のアイドルはベイシティローラーズだぜw
当時は日本の音楽なんか全く興味なくて
音楽の話題だと周りと全く話が合わなかった
でもピンクレディーとかキャンディーズは
普通に知ってた
カーペンターズとかね。
銀座NOW好きな世代が洋楽好きな人多いらしい
いま50歳前後の人
今の若者よりはるかに洋楽を聞いてた世代
かぶってるかと思ったがベストヒットUSAは少し後だった
あと思い出せたのはABBAはかなり人気あったと思うわ
同世代かなw
スティービーの愛するデュークとか
バスターのすてきなサンデーとか
サンタ・エスメラルダの悲しき願いとか思い出した
当時は洋楽が主で
邦楽はフォークしか聴かなかった。
そういうオッサンにもベビメタは刺さりまくるw
大里氏はキャンディーズの名物マネージャーだったからね。
今の若い人の耳には届くのかな
引用元:
http://karma.2ch.net/test/read.cgi/babymetal/1485169979/
キャンディーズ
キャンディーズ(Candies)は、1970年代に活躍した日本の女性3人組のアイドルグループである。所属事務所は渡辺プロダクション。多くの楽曲は、当時渡辺音楽出版の社員だった松崎澄夫(元・アミューズソフトエンタテインメント代表取締役社長)のプロデュースによるものであった。
伊藤蘭(愛称はラン、1955年(昭和30年)1月13日 – )
藤村美樹(愛称はミキ、1956年(昭和31年)1月15日 – )
田中好子(愛称はスー、1956年(昭和31年)4月8日 – 2011年(平成23年)4月21日)
2011年(平成23年)4月21日午後7時4分頃、懸命の治療も甲斐なく、国際医療福祉大学三田病院にて逝去。55歳没。長年の盟友だった伊藤蘭と藤村美樹は、田中が危篤状態になった際、「2人とも家族同然だから」という親族の計らいで病室に呼ばれ、田中が息を引き取るまで、7時間にもわたって田中の名前を呼び続けていたという。
1977年の夏、人気絶頂となりつつあったキャンディーズは、突如解散を発表する。同年7月17日、日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで、3人は涙を流しながら、伊藤が「私たち、皆さんに、謝らなければならない事があります」、藤村が「ごめんなさい」、田中が「許してください」と、それぞれファンに対して謝罪。それから「私たち、今度の9月で解散します」と突然の解散宣言。そのとき伊藤が泣き叫びながら発言した「普通の女の子に戻りたい」は非常に有名になり、当時流行語にもなっている。
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