BABYMETALとフラットバッカ―(EZO)






かつてEZOが所属したアミューズは最大手マネジメントのひとつに成長し、今を時めく #BABYMETAL を全米マーケットに送り出し成功に導いた。

あの時とは時代背景は違っているかもしれないが、その快進撃にはEZOで得た教訓がしっかり生かされているように思えるのだ。https://t.co/uFhflAqE9C

— Re:minder – リマインダー (@reminder_top) 2018年1月19日

BABYMETAL全米制覇の礎はEZO(フラットバッカー)で得た教訓にあり!?

記録よりも記憶に残るジャパメタバンド、それがフラットバッカーだ。

東名阪のバンドが大半を占めた80年代ジャパメタシーンで、北海道の地から突如ハイクオリティなバンドが登場したこと自体驚きだった。メタルらしからぬ逆立てた短髪と隈取りのメイクを施した強烈なヴィジュアルイメージ。サウンドも見掛け倒しではなく、突進する激しい疾走感とうねるような重さを併せ持ち、メタルとハードコアパンクの融合と言える独自のスタイル。

過激で毒々しく圧倒的な存在感は何物にも似ておらず、 “フラットバッカー” という新しいジャンルすら確立したといえる。

フラットバッカーが渡米して30年あまり、かつてEZOが所属したアミューズは最大手マネジメントのひとつに成長し、今を時めくBABYMETALを全米マーケットに送り出し成功に導いた。アイドルとメタルの融合という日本独自のスタイルを変えることなく、ジャパンカルチャーとしてありのまま送り出したことが功を奏したと思える。

EZOの時は全米マーケットを意識するあまり、全てにおいてオーバープロデュースし過ぎて、作られたバンド感が強かった。結果的にそれはフラットバッカー最大の個性である過激な毒気を消し去ってしまった。

あの時とは時代背景は違っているかもしれないが、BABYMETALの快進撃にはEZOで得た教訓がしっかり生かされているように思えるのだ。

全文:https://reminder.top/726650086/

EZOはいまいちだったけど、確かにフラットバッカーは凄かった! ここに書いてるようにメタルとかパンクとかそういうジャンルで安易に括れないものがあったよ。当時仲間内でもよく話題になったからねえ。あまり広く知られてないのは勿体無い。 https://t.co/e72VZEEUN3

— 道草四郎 (@masabuu88) 2018年1月19日

EZO(FLATBACKER)といえば「なだれ」 https://t.co/hlhlXDwXuJ

— pıʌısıou‾qʎ‾zǝɹo 29 (@Div_by_Zero29) 2018年1月19日

そうなんだよなーフラットバッカーのパンクな側面(だって曲が巨大豚破裂だよww)と強烈な音にのめり込んだのにEZOで完全に離れたもんなーそれよりアミューズなんだΣ(゚д゚lll)!

BABYMETAL全米制覇の礎はEZO(フラットバッカー)で得た教訓にあり!? | 1987年 | https://t.co/W2hIckxgYS

— 小ぷっちゃメタル🦊 (@futsal1014) 2018年1月20日

そのEZOの存在をどれ程の人が知っているのだろうか?
フラットバッカーから私は知っている。 https://t.co/jbL4U0UYpD

— gozi ゴジ 『沖田杏梨 ❤️命』 (@jaywalker001) 2018年1月20日

スペクトラムもアミューズだったんよ。 https://t.co/NYecc9RRO5

— shoco_la (@shoco_latt) 2018年1月20日

FLATBACKER

FLATBACKER(フラットバッカー、1982年 – 1990年頃)は、日本のヘヴィメタルバンド。FLATBACKER

1982年、北海道札幌市で結成。結成当時のバンド名は「FRATVACKER」。ヘヴィメタルのみならず、スラッシュメタルやハードコア・パンクの要素も取り入れた音楽性であった。1984年に7曲入りデモテープ『皆殺し』を発表。同年にヤマハ主催のコンテストで優秀賞を獲得し、この事がきっかけでビクターのディレクターと知り合い、1985年にビクターより1stアルバム『戦争 -アクシデント-』を発表。1986年には2ndアルバム『餌 -ESA-』を発表。その後、世界規模での活動に向けて渡米。

E・Z・O

1987年、KISSのベーシストでリーダーであるジーン・シモンズのプロデュースによりアルバム「E・Z・O」でデビュー。
バンド名も「E・Z・O」(イーズィーオー)に改名、音楽性もジーンのプロデュースにより、FLATBACKER時代の過激さが薄れたものであった。

バンド名に関してはE・Z・Oとしてデビューする前にマスコミに「NINJA-HANNYA」等の名前で告知されており、、如何にもアメリカ人のイメージする日本人的なコンセプトにされた事により、メンバーは全員忍者と言う設定でKISSを彷彿させる歌舞伎メイクを施し、「忍者メタル」として売り出され、MASAKI(風)SHOYO(火)TARO(地)HIRO(水)と言ったキャラクター設定のみならず、キャッチコピーも「隠れて何をしてたんだ!」と言ったものであった。

FLATBACKER時代の過激さが薄れた事により、過激さを重視していたファンからは批判の対象になってしまい、当時の一部の音楽雑誌の読者コーナーでもファン同士が葉書越しで口論になる等、話題性を集めていた。
1988年には凱旋公演を行う予定であったが、中止になった。
この時期の全米ツアーではガンズ・アンド・ローゼズと共に回っていたが、ダフ・マッケイガン(b)が見た当時のE・Z・Oの印象は「教科書どおりの演奏だった」とやや否定的なコメントを残したが、年月が過ぎた後、「(彼らが)ロックに対する姿勢は俺たちとさほど変わらないんだ」と評している。

1989年、それまでしていた隈取メイクを止め、素顔で活動を開始。
アルバム「FIRE FIRE」をリリースし、当時としては珍しく「ミュージックステーション」に出演(但し海外からの中継としての出演であり、凱旋出演ではない)。

だが、1990年、E・Z・Oとして日本の地を踏むことなく海外進出も失敗に終わり解散した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/FLATBACKER

http://dic.nicovideo.jp/a/flatbacker

 

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