https://bunshun.jp/articles/-/14169
2019年9月21日 17時0分 文春オンライン
YMOが結成されたばかりの頃、細野さんに会ったら「いまはピコピコのゲーム音楽みたいなものをやってる」って。当時、海外でテクノが盛り上がってきてたし、ああ、最先端を行っているなと思いました。
あるとき誘われて武道館コンサートに行ったら、でっかくYMOと書かれた大型トラックの楽器車が横付けされていた。いいな、はっぴいえんどの頃は楽器車なんてなくて、みんな楽器を手持ちで全国に出かけていったよな、ぼくもスネアとタムだけ抱えて移動してたよな、という感慨も覚えました(笑)。
そうして人気者になっていく細野さんを横目で見ながら、ぼくの作詞と細野さんの作曲のコンビを復活させたいと画策していました。はっぴいえんど以来のね。そこに来たのがイモ欽トリオの『ハイスクール・ララバイ』。パロディでまず一緒にやってみようと。それがミリオン・セラーになって、細野さんとのコンビで松田聖子の代表曲などを一緒に作るようになりました。
ちょうどその頃、細野さんから詞を書いてほしいと頼まれた。「松本、YMOにヒットチャート1位を取らせたいんだ」と。アイドルみたいにしたいから松本に詞を書かせようと細野さんが発案したらしい。
それが化粧品のタイアップ曲になった『君に、胸キュン。』。細野さんから「明るくポップで胸キュンな感じにしてほしい」と言われてその通りにしたんだけど、アイドルっぽいのはサビだけで、その他は大人のヨーロッパ映画っぽくしました。
当時、YMOはもう終わりに向かっていたし、最後にハメを外したかったんでしょう。おかしな振りつきで歌ってておもしろかったよね。
結果的に『君に、胸キュン。』は2位どまりだったけれど、それでもシングルでは「ライディーン」を超えていちばん売れたらしい。売れただけじゃなくて最近、NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』にも使われてリバイバルしたし、普遍性のある作品になってよかったなと思っています。
まつもとたかし/1949年7月16日生まれ。東京都出身
>ゲーム音楽みたいなものをやってる
これは記憶違いだと思うなあ
1978年にPSGでBGMを流してたゲームなんて
ないでしょ
>>110
まあゼビウスで細野が1984年に出したのが
国内初のゲーム音楽サウンドトラックだからなぁ
ていうか世界初じゃないのか?
どこなの
>>118
まあ北米なんだろうけど
北米のゲーム文化って本当に日本でまともに
伝わってないからなあ
よくわかんねーけど、当時の北米ゲームってPCゲームが主体なのかな?
>>123
70年代はアタリとアップルIIだね
アーケードゲームもあったし
1982年に発売されたコモドール64が大ヒットして
ビデオゲームの主役の座をゲーム専用機から
奪い去った
今なら各社がスケジュール調整してリリースずらすのにね
販売時期をずらしてもYMOと聖子ちゃんとではチャートをかけ上がるスピードが違うから効果がない。
新しい音楽の扉を切り開いたからだよ。
そして曲も良かった。言うなれば日本のビートルズ。そりゃ社会現象にもなるわ。
良くも悪くも
風の谷のナウシカ(イメージ曲) 安田成美 細野晴臣
https://www.youtube.com/watch?v=rHRyf15ipEg
山下久美子 赤道小町ドキッ 細野晴臣
https://www.youtube.com/watch?v=A-vsvt_EC7g
赤道小町は細野さんの曲だったのか
しかもアレンジ大村憲司だ
メッチャ売れそうだけど
当時チャートのトップを獲れるアイドルはトシ聖子マッチ明菜の4人だけ。
マジでレコードが擦りきれるほど聴いた曲
そこから35年、Perfumeのポリリズムに衝撃受けて今に至る
散開ライブの終盤の
胸キュンや過激な淑女、以心伝心あたりのところはなかなか来るものがある
世界的にはもっと売れたと思うがな
カシオペアはアメリカ進出の時に
ボーカルを付けて死んだし
メロディもそれほどキャッチーじゃないし
中途半端で突き抜け切れなかったね
君に胸キュンは裏切りすぎだろ なんだこれて思ったわ
テクノという枠組みの中で、あらゆることをやり尽くした感
引用元:
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1569055994/
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