森田 童子(もりた どうじ、1953年1月15日[1] – 2018年4月24日)は、日本の女性シンガーソングライター。
カーリーヘアにサングラス、男性的な服装というスタイルが特徴で、コンサートはもちろんレコードジャケットなどでも素顔を見せることはなかった。森田童子は芸名であり、本名は非公開。加えて実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に生活感を滲ませることを避けていた。
あのスタイルを貫き通したのはほんとすごい
惜しい人を亡くしました
>>1
マンウィズミッションもセカオワのピエロも顔や名前は出てないけど
顔や名前を一切出さず活動するのが無理というのは言いすぎ
大好きだったなぁ 一度だけライブに行ってまだ16歳の頃懐かしい。
レコードの雰囲気と違う曲もあった、コンサートも初めてだったから
何をしていいのか分からず童子さんの口元ばっかり見てた。
何度も聞いたレコードは傷だらけ高校教師でCD化された時は嬉しかったな。
当時拝見された方もいるようです
美人じゃないわけがない
グループで被り物してるヤツと一緒にされても
ピンで生身でグラサンだけで謎の人とはレベルが違う
誰も素顔の森田童子を詮索しようとしなかったのが凄い事だと思うが
森田童子の歌が聴ければそれでよかった、その歌のエネルギーが凄い
彼女の意志を尊重し支援したファンやスタッフは素晴らしい
>>11
森田童子は好きだしすごいと思うけど言ってることがよくわからない
ピンで生身でグラサンだけで素性がわからないと何がすごいの?
詮索されなかったのもいわゆる一般的な人気がなかっただけじゃない?
>>13
当時をよく知らないんじゃないのかな
ライブには行けなかった自分が言うのもなんだけど、ライブ盤で聴く彼女のライブは凄い熱気でしたし、たまにラジオに出演するくらいでメディアにはほとんど姿を現さないにも関わらず70年代後半から80年代前半を代表するフォークシンガーとして認知されてましたよ
好き嫌いははっきりと別れるだろうけど、中島みゆき、山崎ハコと並ぶ3大暗いフォークシンガーとしてね
あの時代は真っ直ぐに内向的に自分と向かい合う事が受け入れられた時代でしたからね
凄いというのはアングラで活動するという事は、リスナーと近い距離感で歌うという事で、言わば今の地下アイドルみたいなファンとの距離感な訳で、
そういう距離感なのに誰もが純粋にただ彼女の歌を聴きたかっただけというのが凄い事だと思うんですよ
情報が少ないのは本人が明かさないのもあるけどファンが少ないのもあると思う
殆どはドラマの影響で増えた人たちだと思う
女優の黒木瞳が、6月20日(水)の朝日新聞東京版夕刊のエッセイで、
森田童子を追悼している。
高校生の頃に兄に教えられて森田童子を知り、以後、アルバムが出るたびに買い、
高校3年の時(1978年)に久留米市の文化センターで開かれたコンサートには、
ボーイフレンドと行ったとか。
それにしても、森田童子が「文化センター」でコンサートを開いていたとか、意外。
「地下のライブハウス」みたいな所でばかり歌っていたイメージがあるから。
ほぉ 意外×意外だ
結構有名人にも隠れファンいたのかな
6月20日(水)朝日新聞東京版夕刊4面・黒木瞳のひみつのHちゃん(212)
森田童子さん 会いたかったな
こんなに泣いたのはいつ以来だろう。森田童子の歌を聞きながら私はひとりで泣いた。
シンガー・ソングライターの森田童子さんが亡くなったということを記事で知り、私は
彼女のCDをかけた。
彼女を知ったのは、兄の影響だったように記憶している。兄は高校生だった私に、
こんな人がいるよと教えてくれた。私は、うちの町に初めて出来た”レコード屋”さんに
行って、森田童子のLP盤を買った。囁くような声で歌うその楽曲全て、私の琴線に
触れ、アルバムが出るたびに彼女のレコードを買った。
高校3年生の時には久留米市の文化センターでコンサートがあって、BFと行った。
彼女が女性だと知ったのもそのとき。無気力を魂で追い払おうとする気迫、今このとき
を生きようと必死でもがいているような歌声を、私は今も忘れない。
三島由紀夫を読み、芥川龍之介を読み、私は、彼女の歌詞に出てくる意味を必死で理解
しようとした。彼女が一番大切にしていたものは、命と友人。きっと、そう思う。
私はそういう高校時代を経て宝塚に入ったのだけれど、その話をすると、「あなた、
暗いね」とよく言われた。確かに彼女の歌にはネガティブな言葉がたくさん出てくる。
でもそれを払拭するようなエネルギーが全曲にみなぎっていた。歌は、何かを探し、
何かに焦がれていた。夢はみるものではない。将来は自分で決められるものではない。
だからこそ、目の前のなにをすればいいかを私に考えさせてくれたものだ。たとえ人に
暗いねと言われても私が笑っていられたのは、彼女の歌で力をもらっていたからだろう。
幼なじみが何十年かぶりにメールをくれた。森田童子さんの訃報を知ったら私にメール
をしたくなったのだという。私の好きな人を覚えていてくれたことも嬉しかったけど、
こうやって彼女と繋がっていたことがなにより嬉しかった。
一度、会いたかったな、森田童子さんという人に。青春の扉がまたひとつ、閉じて
しまった悲しさは、言葉にはできない。
活動時期に売れてたなんて事は無いし無かったわな
クラスにも知ってる奴なんてほぼいなかった
ドラマに歌が使用されて声と歌詞が新鮮だったから売れはしたけど
森田童子はどこまでもアンダーグランドの人だったと思う
だから売れたからって表に出てこなかったし
ここまでカリスマイメージを守りきった人はいないしもうありえない
引用元:
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/musicjf/1528785944/
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