40周年イヤーのLOUDNESS。2021年の最後を飾るEX THEATER ROPPONGIでの二夜連続ライブ<Ampan Night><Dragon Night>も発表され、コロナ禍を経ていよいよ彼らが本格的に動き出す!というわけで、ここでは以前Rolling Stone Japanに掲載した高崎晃(Gt)のインタビューをお届けする。
16歳でLAZYのギタリストとしてプロデビュー。1981年結成のLOUDNESSでは、日本でヘヴィメタルという音楽を牽引しただけでなく、アメリカのメジャー・レーベルのアトランティックと契約して、海外進出も果たし、アルバム『THUNDER IN THE EAST』を全米74位、『LIGHTNING STRIKES』を全米64位にチャートインさせ、モトリー・クルーとともに全米ツアーを回り、日本人として初めてマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立ち、AC/DCとツアーしたり、自らのツアーのオープニングにポイズン、シンデレラを起用したりするなど、全米、ヨーロッパを股にかけてのワールドワイドな活動をしてきた。2010年代以降も海外からのラブコールが絶えず、再び海外でのツアー、フェス出演を活発化してきたLOUDNESS。ヘヴィメタルの黎明期も、80年代の全世界的なメタル全盛時代も、今の海外のシーンもすべて見てきた高崎晃に、ヘヴィメタルについて語っていただいた。
ー高崎さんのロックの入り口は何でしたか?
高崎 小学校6年の時に聴いたレッド・ツェッペリンの2ndアルバム、ディープ・パープルの『MACHINE HEAD』。あと、クリームがちょうど解散した後で、ライブ・アルバムを出したんです。そのぐらいがロックの入り口かな。俺には姉と兄が5つ、7つ上でいて。小学校高学年の時からそういう音楽が普通に家の中で流れてる環境で育ったから、ちょっと早かったんですよ。当時は来日ラッシュで、レッド・ツェッペリンも2回来たし、ディープ・パープル、グランド・ファンク・レイルロード、シカゴとか、いろんな外タレが来てて。うちの兄弟はほとんどのライブに行ってたので、家にはコンサートのパンフレットもあったんです。
ー日本の音楽も聴いていました?
高崎 最初は吉田拓郎さんが好きで。それからチューリップとかに行って。中学生の時はバンドでキャロルとか好きで演奏してましたよ。
ーギターのある音楽が好きだったんですね。
高崎 まずエリック・クラプトンを好きになって、そこからディープ・パープルのリッチー・ブラックモアになって、ジミー・ペイジですね。一番スタンダードな流れですよ(笑)。
ーヘヴィメタルを意識したのはどこからですか?
高崎 ヘヴィメタルというと、81年ぐらいからの、いわゆるアイアン・メイデン、デフ・レパード、サクソンとか、そういうイギリスから出てきた俺らと同世代のアーティストたちで、いわゆるメタルの中でもニューウェイブな感じになりますよね。
ーNWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)ですね。
高崎 伊藤政則さんがよう言うてましたよね。LAZYの最後の頃、80年12月に出した『宇宙船地球号』で、LAZYも「ヘヴィメタル宣言」という風にやって、自分たちで曲も作り出して、歌詞の世界はまだアイドルから脱却できてない感じはあったと思うんだけど、サウンドはだいぶハードで、自分らの理想としてたものにだいぶ近づくことができたんです。けど、ヘヴィメタルやるぞと言ってから3カ月ぐらいで、LAZYは解散しちゃったんですよね。ただ、解散して数カ月後にはもうLOUDNESSを立ち上げてて。ちょうど世界的にも、イギリスからもアメリカからも、俺らと同世代のアーティストがたくさん育ってきてたんですよね。たぶん俺らと同じで、ツェッペリンやディープ・パープルを聴いてきた連中らが、20歳ぐらいになって出てきてたんやと思うんですよ。それが後にアメリカではLAメタルになっていったりするんです。だから、ヘヴィメタルっていうワードで展開していったのは、80年代になってからじゃないのかな。
10/17(日) 10:45配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7eeb7e4a1cb59f8b481c57f2b945792b3cf1be0?page=1
ロブハルフォードが80年代初頭のライブやPVで赤いバンダナ腰に付けてた意味がニイちゃんのお陰でよくわかったw
アクセル・ローズも赤いバンダナ付けてたような
腰から下がアウトだったはず
頭や首に巻くのはノンケ
ちゃら~へっちゃら~
ってレイジーの人だったんだなw
本当に熱心に聞いてた
この歳でも超絶プレーやってるのが凄い
普通めんどくさくて手数減る
てっきりエドワードバンヘイレンかと思ってた
ごった煮だな
要素的にはパープル、シェンカー、ゲイリー、日本の70年代歌謡曲、ラッシュ、など
全米チャートで、初の米国籍以外の1位の坂本九さんは別格として、徒手空拳で実力だけで日本では不人気の、ヘビメタでアメリカでチャート最高20位。 だから、30年以上経過してもアメリカのプロモーターから、引き合いがある凄いバンド。 コロナのせいで、短期就労ビサが薄給されないのが、とても残念。
一時期パフィーが人気あるような噂があったけど
どうだったんだろ?
アメリカ在住だったけど、人気なんかなかったよ。
私の周りでは誰も知らなかった。
日本で台灣のF4が人気あった?
日本で香港バンドのビヨンドが人気あった?
それと同じだよ。
一部のファンはいたかも知れないけど、全米でどうとかというレベルではなかった。
友人に音楽好きがいて、日本の
フラワー・トラベリン・バンドは
評価してた。
自分はそんなバンド聞いたことも
なかったし初めて名前知った。
フラワー・トラベリン・バンドはラウドネス以上に日本でも埋もれてしまってるけど海外でも知ってる人は居るんだな
20位?
そんな記録ないぞ
当時、やることやり切ったんじゃないの?
イギリスチャートで最高6位。欧州のメタルフェスには殆ど参加したろうしな。それでも海外の頂点には届かなかったから、あのメンバーでは、限界だったんだろ
スラッシュ方面に進んで欲しかった
LIVEの音ホント良いよ
日本語曲受け入れられてるのは最近の事だと思ってたけれど
ラウドネスなんか60位以下だろ
メタル全盛期とはかなり距離がある
アジア人で最強って話をしてるのよ
誰もLOUDNESSが世界で売れたなんて思ってない
引用元:
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/
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