Top 25 Rock Producers
Ultimate Classic Rock Staff
Published: September 1, 2022
https://ultimateclassicrock.com/top-rock-producers/
アルバム制作は大変な仕事ですが、誰かがやらなければならないことです。
セッションミュージシャンの選定、アレンジの指導、レコーディングのクオリティの確保など、アルバムの制作には、インセプションから完成品まで、創造的かつ技術的に多くのムービングパートが含まれます。最終的には、アーティストのアルバムに対するビジョンが、どのようなものであれ、結実することが望まれます。
自分のアルバムを制作することもある多作なミュージシャンでさえ、優れたプロデューサーがもたらすアドバイス、サポート、励ましは貴重だと言うでしょう。
(※中略)
プロデューサーは、アルバムのジャケットに名前が載るわけではありませんが、プロジェクトの成功には欠かせない存在です。果たして、どのプロデューサーがトップなのでしょうか?ロック・プロデューサーのトップ25をご紹介します。
◆Top 25 Rock Producers
1. George Martin
2. Brian Wilson
3. Brian Eno
4. Phil Spector
5. Jimmy Page
6. Ted Templeman
7. Prince
8. Brendan O’Brien
9. Daniel Lanois
10. Tony Visconti
11. Jimmy Miller
12. Jeff Lynne
13. Rick Rubin
14. Bob Ezrin
15. Nigel Godrich
16. Mutt Lange
17. Bob Rock
18. Bruce Fairbairn
19. Butch Vig
20. Jimmy Iovine
>>21位以下は省略。
ジョージ・マーティンはビートルズを定義したが、ビートルズもまた彼を定義した。ジェフ・ベックのプラチナム・セラー第4位、チープ・トリックのゴールドセラー・トップ25ヒット、リトル・リバー・バンドのゴールドセラー・アルバム、アメリカのゴールドセラーLP3枚連続、そして他の誰かとのコラボレーションでより有名になることを想像してみてほしい。
マーティンは、ファブ・フォーと永遠に結ばれているが、アメリカのチャートでトップ10に入った “Sister Golden Hair “など、他のシングルを数多くプロデュースしている。彼はまた、ウルトラヴォックス、シラ・ブラック(実際には3枚)、ピーター・セラーズのイギリスでのトップ10 LPをプロデュースしている。もちろん、ビートルズとの一連のスタジオ作品を通じてロックの想像力と範囲を再定義すると、そのすべてが不明瞭になりがちである。
しかし、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の見事な不協和音や「サムシング」の背後にある滑らかなオーケストラの流動性以上のものが常にあったということは、マーティンの天才を物語っている。彼はマハヴィシュヌ・オーケストラやケニー・ロジャースとも仕事をした。(デリソ)
ブライアン・ウィルソンは、60年代前半、フィル・スペクターがビーチ・ボーイズのキャリアをコントロールし、彼らをヒット・ミュージック・マシンからスタジオ・イノベーターへと移行させるまで、ポップ・ミュージック界最大のスペクター門下生であった。
Surfin’ Safari」のような初期のヒット曲は、スペクターの有名なドラムイントロを「Be My Baby」から借用した「Don’t Worry Baby」へと受け継がれた。そして、1966年に発表されたアルバム『ペット・サウンズ』は、スタジオの情熱と完成度の頂点に立つ作品となった。
ウィルソンは、楽器、声、アイデアを重ね、これまでに録音された曲の中で最も息を呑むようなゴージャスな楽曲を作り上げた。その翌年、ウィルソンは『スマイル』の制作に没頭し、長い間棚上げされていたLPを2011年にようやくリリースした。待つだけの価値はあった。(ガルーシ)
プロデューサーには様々な形態がある。美化されたエンジニアや技術的な調整者、共同作曲やオーバーダビングで手を汚す「アルバムのためのバンドメンバー」タイプ、雰囲気や全体像に焦点を当てるビッグピクチャー・シャーマンなど。ブライアン・イーノは、この3つを同時に実現している。
マルチ・インストゥルメンタリストとして、デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズ、U2のアルバムに不可欠なパートを加え、純粋なサウンドデザイナーとして、エフェクト「トリートメント」の使用に革命を起こし、アバンギャルドなアイデアを主流に押し上げ、プロデューサーとバンドのコミュニケーションのあり方を変えた。(リード)
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
だがその出来に海外ファンからは大不評
「ヴィスコンティが邪魔しなければドラゴンクライはマナーズみたいになってたはず」などと書かれていた
80~90年代はこの人プロデュースの作品がビルボード席巻してたのに
言うほどか?
目立って売れたのはボン・ジョヴィ、エアロ、AC/DCの何枚かくらいじゃね?
デヴィッド・ボウイ好きにはトニー・ヴィスコンティが入ってればよし
ブルース・フェアバーンの音作りより弟子のボブ・ロックの音が好きだな
盟友はイーノだろ
スリラーのプロデュースじゃなかった?
ロックじゃない
ジャズ、ディスコ、ポッププロデューサーだろ
アルバム作るとき
アーティストとどんなアルバム作るか話し合い
エンジニアたちとレコーディング、ミックスを行う
人によっては編曲までやる
メタリカのジャスティス→ブラックアルバム
ここまで音がちがうのはプロデューサーの違いも大きい
ベテランアーティストが今風の音作りしたいとき前作とプロデューサー変えたり
前作で煮詰まっていたら心機一転プロデューサー変えたりする
そこらのレコーダーには何がなんだか分からんものもあるわけで
それを整理整頓して“商品”としてProduce(製造)するお人
雑誌などの編集長みたいなお仕事もその一種だわさ
人それぞれの評価はあると思うけど、やっぱりQuincy Jonesは入っていて欲しかったなぁ。
MJのプロデューサーだったことはもちろん、We are the worldで歴史に残るスーパースターたちをまとめ上げた手腕は特筆されるべき。
いや、あの人は元々ジャズの人だし
「ロック」という時点で除外された、と考えるべき
ボブ・ロックはそれぞれの楽器の音が何故かクリアに聴こえるのは俺だけか
ホワイトスネイクのサーペンス・アルバスが音質悪く聴こえるから
ボブ・ロックで作ってもらいたかったな
マイク・クリンクのスリップもキンキンたからボブ・ロックで聴きたかった
メタリカのブラック・アルバムは
音質面において
以前と以後を分ける革命的なアルバムだった
当時のオーディオの
ベンチマークテスト用みたいな一面もあった
プロデュースって言うほど簡単じゃないんだけどね
引用元:
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1662388685
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