4/2(日) 21:15配信 スポニチアネックス
「世界のサカモト」と評された音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが死去したことが2日、分かった。71歳。東京都出身。
スポニチ本紙の取材では都内の病院で3月28日に亡くなった。日本における坂本さんのマネジメント会社「キャブ」も認めている。20年6月に直腸がんと診断され、両肺などにも転移しステージ4と公表していた。1980年代に3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で世界的ヒット曲を生み出した。映画音楽でも知られ、88年には米映画「ラストエンペラー」で米アカデミー作曲賞を日本人で初めて受賞した。晩年はがん闘病が続いたが、最後まで音楽作りに情熱を注いだ。
昨年12月11日に全世界配信されたピアノのソロコンサートが、最後の公の場になった。同9月中旬に事前収録。体力面を考慮し1日数曲ずつ演奏し、数日かけてコンサートに仕立てた。今年1月に「YMO」で共に活躍した高橋幸宏さん(享年71)が死去した直後には、SNSにグレーの画像を1枚投稿。コメントはなく、それが逆に悲痛な思いをうかがわせた。
3月初旬には、東京・明治神宮外苑の再開発見直しを求め、東京都の小池百合子知事らに手紙を送った。3月29日に配信された共同通信の書面インタビューでは「音楽制作も難しいほど気力・体力ともに減衰しています」と現状を明かしていた。坂本さんは同28日に死去しており、その翌日にインタビューが配信された形になった。
14年に中咽頭がんと診断され、治療の末に寛解。だが、直腸がんと診断された20年6月には、治療しなければ「余命半年」と告げられた。手術では、最初にがんが発生した原発巣と肝臓2カ所、転移したリンパの腫瘍、さらに大腸を30センチも切除。両肺に転移したがんを摘出するなど、1年で6回の手術を受けた。その後は通院して投薬治療を続けてきた。
3歳からピアノを始め、小学2年の時にバッハの音楽に傾倒した。東京芸術大作曲科を経て、78年に高橋さん、細野晴臣(75)とYMOを結成。79年に当時斬新なシンセサイザーを使った音楽が海外で受け、世界ツアーを2度成功させた。国内では竹の子族がヒット曲「ライディーン」を踊るなど、社会現象になった。
俳優としても活躍し、83年公開の映画「戦場のメリークリスマス」では、英ロック歌手のデビッド・ボウイさん(16年死去、享年69)と共演。男性同士のキスシーンも熱演し、話題となった。
劇中音楽を手掛け、出演もした米映画「ラストエンペラー」(87年公開)では88年の米アカデミー作曲賞を日本人で初めて受賞した。同作では米音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞も獲得。米エンタメ界2大タイトルを初めて受賞した日本人となった。
理知的で「教授」のニックネームでも親しまれた。興味こそ原動力で、既成の価値観にとらわれず、やりたいと思ったことに全力で取り組んできた坂本さん。最後まで文芸誌「新潮」での連載で音楽観や死生観を語るなど、敬愛するバッハのように情熱は尽きることがなかった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c170a5cc79afd9f79eb542edd5f8b51b3b33fe7
>>1
合掌
ラストエンペラー 戦場のメリークリスマス
ご冥福をお祈りします
君に胸キュンしか知らん
ライディーンは?
戦場のメリークリスマス聞くか
ご冥福をお祈りします
再会を喜んでいると思う
幸宏さんも鮎川さんも
ググったら凄い大物だな
曲名聞いても知らんのばっかだけど
戦場のメリークリスマスは知ってるだろ
やっぱこれ 追悼に聞こう
ラジオでゲストに出てきてたけし風のボケ連発してたな。
ダウンタウンのアホアホマンに扮したのも懐かしい。
THE END OF ASIA(デビューアルバムの原曲の方)でも聴いて寝るか。
戦メリ忘れない映画になった
ご冥福をお祈りします
あちらでまた『いけないルージュマジック』できますね
ご冥福をお祈り申し上げます
引用元:
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1680438261/
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